評価との向き合い方
最近すこ~しだけ悩んでることがありまして。。。
関西圏に住んでた頃は大学生向けに講義をしたりゼミで就活やキャリア形成のお話をさせていただいてたんですけど、鳥取に帰ってきてからというもの話す相手が主に高校生にシフトした関係で、話す内容を考えるのにスゴイ苦労する部分があるんですよね汗
・この内容(あるいは言葉)は伝わるだろうか?
・関係者が又聞きしてもわかり易い内容か?
この辺を一旦考え始めたあかつきには夜なかなか寝付けなくなっちゃうので、早いとこ自分なりにエエ塩梅の落としどころを見つけていければな~と考えている今日この頃です。
さて、そんなこんなで今日の本題。
今日は社会人における「評価との向き合い方」をテーマにお伝えしたいと思います。学校や職場、はたまた家庭内など日々の生活を過ごすなかで沢山評価を受ける(あるいは評価する)シーンってあると思うんですけど、そんな評価について前半は本質部分の解説、後半はそれに対しどう向き合えばいいか?という2段構えでお話を進めさせていただきますので最後まで是非ご覧ください!!
相対評価からは逃れることはできない
皆さんは絶対評価と相対評価という2つの言葉をご存じですか?
わかり易い例を1つ挙げるなら
(美味しいリンゴを批評するとして)
絶対評価・・・一定糖度を越えるリンゴは「美味しいリンゴ」とするやり方
相対評価・・・候補のリンゴを食べ比べて「美味しいリンゴ」を決めるやり方
特定の物差しを基準に美味しいを決める絶対評価と、候補同士で比べながら美味しいを決めるやり方かの違いってわけですね。
で、私達の普段の生活って相対的に判断されてるものが凄く多くて、そんな世の中はどういう状況かっていうと、とどのつまり「比較対象となり得るもの全てに勝さえすれば良い評価はもらえる世の中」という事ではないでしょうか。
極端な話をしちゃうと、周囲があまり優れた能力をもっていないようであれば自分はその分野においてトップに立つことも可能ですし、その逆周囲が超絶優秀な猛者ばかりの環境下だと自分が及第点くらいのパフォーマンスを発揮したくらいじゃ「悪いパフォーマンスをする人間」というレッテルを貼られてしまう。。。
日系企業は絶対評価より相対評価の方に重きを置いてる傾向がありますし、そういう環境下に身を置くのであれば「自分のライバルは誰なのか」という意識は常に持っておく必要があるといえるでしょう。
でもまぁ環境に身を置く置かないは別にして、日々の日常生活でほとんどの物事は相対的に決められてませんか?
「美味しいパン屋」だったり「イケメンの基準」だったりこれらのもんって比較対象がいて初めて成立するものでもあるので、みな無意識のうちに相対的に良い悪いの分別をしてるんだと思います。
人が人として生きている限り、相対評価からは逃れられないんじゃないですかね?
だからこそ
先に申し上げた通り、学校の通知表や会社の人事考課って相対評価的に決められているモノってやたら多かったりします。
だからこそ損得勘定を抜きにして良くしてくれる人が現れれば、その人はもう死ぬほど大事にすべきだと思っています。
先輩上司だったり学校の先生だったり。。。
いずれにせよ損得抜きに自分の味方でいてくれる人というのは大変貴重な存在ですし、日々の生活を過ごすなかで特段なにかの目的意識を持ってないような人はその人の為に毎日の仕事なり生活なりを過ごす人生も悪くないんじゃないかな~と思ったりします。
いかがでしたでしょうか?
結論「味方は大事にしよう」って話を今回はさせていただきましたが、これ本当に難しくて、味方は長いこと味方でいてくれてるとその状態に慣れっこになっちゃうので人はどうしてもそんな人に不義理を働いてしまう事があります。
そうしない・ならないように他者に対してもリスペクトは常に持ち続けたいと考えている今日この頃でした!!